翻訳と辞書
Words near each other
・ 石田幽汀
・ 石田延之
・ 石田弘
・ 石田弘志
・ 石田弦太郎
・ 石田彰
・ 石田彰・岸祐二の五番街で逢いましょう
・ 石田徹
・ 石田徹也
・ 石田志芳
石田忠卿
・ 石田忠郷
・ 石田忠鄕
・ 石田愛希
・ 石田慶一
・ 石田慶和
・ 石田憲
・ 石田憲次
・ 石田拓実
・ 石田捨雄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

石田忠卿 : ウィキペディア日本語版
石田英吉[いしだ えいきち]

石田 英吉(いしだ えいきち、天保10年11月8日1839年12月13日) - 明治34年(1901年4月8日)は、幕末土佐藩士、明治の政治家、男爵。変名を伊吹周吉(終吉とも)、のち伊吹慶良という。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
土佐藩の医師の家に生まれる。家業を継ぐため大坂の適塾緒方洪庵に師事し、医術を学んだ。
しかし、志士・吉村寅太郎に心酔し、天誅組に加わって大和挙兵に参陣した。この戦いで敗れた英吉はやむなく長州に落ち延び、再起を図る決意を固める。だが禁門の変で負傷、三条実美ら有力公卿が都を落ち延びた、いわゆる「七卿落ち」で三条とともに都を離れた。その後、再び長州に逃れた英吉は、そこで高杉晋作と合流し、奇兵隊創設に貢献するなどして過ごした。
以後は坂本龍馬とともに亀山社中や海援隊の結成に参加し、長岡謙吉にとともに重きをなした。下関海戦では坂本の命によりユニオン号の指揮を任せられ、めざましい戦果を挙げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石田英吉」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.