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石田礼助 : ウィキペディア日本語版
石田礼助[いしだ れいすけ]

石田 礼助(いしだ れいすけ、1886年(明治19年)2月20日 - 1978年(昭和53年)7月27日)は、日本実業家三井物産代表取締役社長日本国有鉄道元総裁。本名・石田 禮助(読みは同じ)。
== 経歴 ==

*1886年(明治19年)2月20日静岡県松崎町漁師の家に生まれた。麻布中学校を経て、1907年(明治40年)に東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業し、三井物産に入社。
*1933年(昭和8年) - 同社取締役に就任
*1936年(昭和11年) - 常務取締役に就任
*1939年(昭和14年) - 代表取締役社長に就任
*1941年(昭和16年) - 退社
石田は取締役に就任するまで、シアトルボンベイ大連カルカッタニューヨークの各支店長を歴任した。大連支店長時代には大豆の取引〔当時、大豆の取引はリスクが高かった。〕で巨利を得て、ニューヨーク支店長時代には、の取引で再び成功を収めた〔また、シアトル赴任時には石坂泰三と出会った。〕。
1941年(昭和16年)に同社を退社後、1942年(昭和17年)には産業設備営団顧問に就任。1943年(昭和18年)に交易営団が設立されると総裁に就任したが、戦後に公職追放となったため、国府津へ移り住み、そこで十河信二と出会う。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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