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石田穣一 : ウィキペディア日本語版
石田穣一[いしだ じょういち]
石田 穣一(いしだ じょういち、1928年 - )は、日本の元裁判官で、沖縄キリスト教短期大学教授なども務めた。鉄道愛好家としても知られ、ゆたか はじめの筆名による著書もある〔〔。
== 概要 ==
東京市神田に生まれる〔。父・石田寿、祖父・石田精一はともに裁判官で、穣一が少年であった1936年から1937年にかけて、父は広田弘毅の首相秘書官を務めていた〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
旧制・成蹊高等学校(20回生)卒業〔沖縄成蹊会に出席して 一般社団法人成蹊会〕。
1951年東京大学法学部卒業後、裁判官となり、東京地方裁判所那覇地方裁判所長、宇都宮家庭裁判所東京高等裁判所勤務を経て、福岡高等裁判所長官、東京高等裁判所長官を歴任し、1993年に退官した〔。東京高等裁判所判事であった1987年には、永山則夫の高裁差し戻し審で裁判長として死刑の判決を下したが、これは石田が在職中に下した唯一の死刑判決であった〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
退官後、沖縄へ移住し、1993年から2000年まで沖縄キリスト教短期大学保育科教授となり、この間1995年から1999年まで沖縄県行政オンブズマンを務めた〔。
2000年、春の叙勲において勲一等瑞宝章を受けた〔。
なお、父・寿や幼少時の穣一ら家族の姿が撮影されたプライベートフィルムが、NHKで2013年9月27日に放送された首都圏スペシャル「おもいで映画館」で紹介された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石田穣一」の詳細全文を読む



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