翻訳と辞書
Words near each other
・ 石田貫之助
・ 石田輝也
・ 石田輝男
・ 石田退三
・ 石田逸男
・ 石田達郎
・ 石田郡
・ 石田郵便局
・ 石田郷子
・ 石田重家
石田重成
・ 石田長生
・ 石田陽子
・ 石田隆司
・ 石田隼大
・ 石田雄
・ 石田雄太
・ 石田雄彦
・ 石田雄治
・ 石田雅亮


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

石田重成 : ウィキペディア日本語版
石田重成[いしだ しげなり]

石田 重成(いしだ しげなり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。石田三成の次男。
== 生涯 ==
石田三成の次男として誕生。母は皎月院
はじめ、豊臣秀頼小姓として仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで父・三成を初めとする西軍が東軍に大敗し、居城佐和山城も落城したことを知ると、津軽信建の助けで乳母の父・津山甚内らと共に陸奥国津軽に逃れた。
その後は杉山源吾を名乗り、津軽氏の保護のもと深味村(現・板柳町)に隠棲する。慶長15年(1610年)4月28日に若死したという説があるが、慶長15年ごろまで隠棲しその後出府して寛永18年(1641年)に53歳で死去したという説も有力である。三男の成保系『杉山系図』には藤堂高虎に仕え伊勢で死去したという記述があるが真偽は不明。長男・吉成弘前藩主・津軽信枚の娘を妻として家老職についており、子孫の杉山家は弘前藩重臣として存続した。
石田三成が豊臣を名乗ることを許されていたという記録は無いが、宗徳寺(青森県弘前市)にある重成以下杉山家の代々の墓には豊臣の姓が刻まれているといわれている(江戸時代に豊臣氏を正式に名乗っていたのは北政所の実家木下家のみである)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石田重成」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.