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石見銀山[いわみぎんざん]
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。本項では石見銀山の概要と歴史、および2007年に認定された世界遺産としての石見銀山についても言及する。
== 概要 ==
鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国によって史跡に指定。2007年(平成19年)6月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まり、7月2日に正式登録された。一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている〔島根県教育委員会『石見銀山とその文化的景観』(53頁)2007年〕(後述の「登録までの経緯」の節参照)。2007年には日本の地質百選にも選定されている。 初期には仙ノ山(別名:銀峰山)山頂付近で銀鉱石の露頭の採掘が行われた。石見銀山では銀鉱石は福石(ふくいし)と呼ばれた。開発が進行するにつれ鉱脈に沿って地下深くに採掘が進んだが、江戸期の採掘で良質な銀鉱石は枯渇し後年には黄銅鉱、黄鉄鉱、方鉛鉱など鉱石を主体とする永久鉱床(えいきゅうこうしょう)の採掘に移行した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石見銀山」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iwami Ginzan Silver Mine 」があります。
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