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石遵[せき じゅん]
石 遵(せき じゅん)は、五胡十六国時代の後趙の第5代皇帝。武帝石虎の九男。 == 生涯 == 太寧元年(349年)4月に父が崩御し、皇太子であった弟の石世が皇位を継ぐと、これに不満を持って河内にあった軍勢を率いて都に攻め上り、石世を攻め殺して皇帝に即位した。武帝の養子石瞻の子の石閔を皇太子にするとして前鋒として戦わせたが、皇太子には石斌(石虎の養子)の子の石衍が立てられた。 ところが、この即位を他の兄弟たちが認めずに反発した。幽州の石沖が10万の兵で攻め上ると、石閔と李農に精鋭10万を与えて大勝し、石沖を殺した。揚州刺史が東晋に帰順すると、李農が騎兵2万で東晋軍を撃破した。長安の石苞が鄴を攻めようとすると、豪族たちは石苞を見限り東晋に帰順しようとした。石遵は騎兵2万で東晋を破り、石苞を鄴に連行した。石閔は一番の功績を自負し、部下たちへの恩賞を求めたが許可されなかった。会議で群臣は石閔が不満を抱いているとして処刑を求めたが、母の鄭太后が反対した。三兄の石鑒が石閔に知らせると、石閔は石鑒を擁立して決起した。在位183日にして石遵は鄭太后と石衍とともに石閔に殺された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石遵」の詳細全文を読む
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