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橋本 聖子(はしもと せいこ、戸籍名:石﨑 聖子(いしざき せいこ)、1964年10月5日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)。公益財団法人日本スケート連盟会長、公益財団法人日本自転車競技連盟会長。スピードスケートおよび自転車競技の元選手でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事〔評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会〕。 == 略歴== 北海道勇払郡早来町(現:安平町)出身。4人兄弟の末子。実家は養牛で知られ、父の善吉はマルゼン橋本牧場を経営し「牛のハシモト」として海外ですら名を知られた牛の仲買商。後にサラブレッドのJRA顕彰馬マルゼンスキーの生産者としても知られる。1964年東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた。このことから、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれる〔1988年9月16日、朝日新聞朝刊、「『聖子』の由来、いま実感 橋本さん、念願の聖火リレー」〕。父親の方針で3歳でスケート開始。小学3年の時、腎臓病にかかり、2か月間入院。2年間スポーツを禁止される〔政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト〕。 中学3年の時、全日本選手権を初制覇の後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇。高校1年で世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれる。 原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死をさまようが、後に全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。 1994年、富士急行株式会社退社。1995年、第17回参議院議員通常選挙の比例区に自民党から立候補し初当選。国会議員とスポーツ選手の二足のわらじを履き、午前3時に起きて自転車に乗り、昼間に国会議員としての活動をして、夜9時すぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、土日の地方講演には自転車で移動をするなどして練習に充てていた。1996年には現職国会議員としてアトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、12位と9位に終わる。現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」としてスポーツ選手としての現役引退を決意する〔政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト〕 2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産。これに先立ち、妊娠判明後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、事実上、国会議員の産休が制度化する。橋本は直前まで議員活動をし、入院後2時間で初の出産。現在、三男三女あり(実子3人)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本聖子」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Seiko Hashimoto 」があります。 スポンサード リンク
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