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砂越氏雄[さごし うじたか] 砂越 氏雄(さごし うじたか、? - 1513年10月29日(永正10年10月1日))は、戦国時代の出羽国の武将、国人。飽海郡砂越城(現:酒田市砂越)城主。 == 生涯 == 出羽飽海郡代を務めた家系。父は足利家氏の流れを汲む砂越氏益(矢口氏益)で、氏雄は家氏から数えると5代となる〔ちなみに砂越氏本来の出自は家氏ではなく別系統である〕文明10年(1478年)、同じく出羽国の田川郡に在り勢力を伸張させている大宝寺氏に対抗するため幕府に官途を申請し、信濃守と出羽飽海3万石を授けられる。氏雄は上洛し将軍足利義尚に謁見し大いに面目を役したという。 その後永正9年(1512年)に田川郡に侵攻し、大宝寺澄氏と大規模な戦を行い勝利する。しかし、砂越・大宝寺両陣営で1000人余の将兵を失う大損害となるも翌年の永正10年(1513年)に氏雄は再び田川郡侵攻を決意。大宝寺城を攻め立てるも敗れ、子共々討ち死にしてしまった。 氏雄の死後砂越は空席となったが、永正15年(1518年)、大宝寺一門の氏維が砂越氏に入り、再興した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「砂越氏雄」の詳細全文を読む
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