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砲塔式45口径40cm加農砲(ほうとうしきよんじゆうごこうけいよんじゆうせんちかのうほう)は大日本帝国陸軍が保有していた沿岸砲台である。 == 概要 == 1922年各国海軍でワシントン海軍軍縮条約により多数の戦艦・巡洋戦艦等が廃艦となり、日本でも同様のことが行われた。 しかし、八八艦隊計画で完成間際だった戦艦加賀・土佐、巡洋戦艦天城・赤城の主砲の処分方法がここで問題となった。もし保管すれば莫大な保管料が取られる、かと言ってこのまま廃棄するには惜しい。 そこでこれらの主砲を要塞砲として移転するということで陸軍が海軍より購入することとなった。 戦艦土佐の1、2番砲と巡洋戦艦赤城1、4番砲が選定され、1~4号砲と命名され下表のように要塞に設置された。 海軍からの購入となってはいるものの、実際には砲弾各100発も含めほぼ無料で陸軍へ贈られ、改修費用も海軍持ちであったとされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「砲塔四五口径四〇糎加農砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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