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破損奉行[はそんぶぎょう] 破損奉行(はそんぶぎょう)は、江戸幕府における職名の1つ。駿府に置かれた駿府破損奉行(すんぷはそんぶぎょう)と、大坂城の大坂破損奉行(おおさかはそんぶぎょう)の2つがあった。 == 駿府 == 駿府城内外の建造物の営繕、材木の管理を掌った役職。定員2名で、役料として30人扶持が支給された。配下に下奉行4名ずつと駿府城代と駿府定番付属の同心8名(10石3人扶持)が付属〔『江戸時代奉行職事典』 P94。〕。 寛永16年(1639年)に書院番による駿府在番が開始されて以来、在番衆の出役による破損奉行2名が城の営繕の職務を担当したが、宝永4年(1707年)3月に、庄田主税安清と勝金左衛門正甫の2名が奉行として任命された〔『吏徴』別録より。〕。宝永7年(1710年)に廃止され、城の修繕は再び駿府在番の所管となったが、寛政2年(1790年)に在番が廃止されるに伴い駿府町奉行掛破損方へ移管。享和3年(1803年)に駿府武具奉行の榊原平兵衛が破損奉行との兼帯を仰せ付けられ、以後武具奉行との兼役となった〔『駿府志略』、『駿国雑志』より。〕。 破損金〔普請のための財源。〕は当初は無制限だったが、享保元年(1716年)より3000両とされ石垣・橋・瓦塀など100間に及ぶものは臨時の公用とされた。同14年(1729年)には1000両、宝暦5年(1755年)には700両、明和7年(1770年)には350両と時代を下るにつれて減額されていった〔 『駿国雑志』、『吏徴』別録より。〕。
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