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碓井 博行(うすい ひろゆき、1953年8月4日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。静岡県出身。 == 来歴 == 強烈なキック力を持ち、得意とした右斜め45度エリアからのシュートで多くのゴールを挙げたストライカー。 藤枝東高校、早稲田大学を経て、1976年にJSLの日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)に入部。2度のJSL得点王(1980年、1982年)に輝き、日立の1975年度天皇杯、1976年JSLカップ優勝に貢献した。1988年に現役引退するまでJSL通算200試合出場85得点28アシストの記録を残している。 1974年から日本代表に名を連ね、ワールドカップ・アルゼンチン大会予選、モスクワオリンピック予選に出場。1980年以降は一時代表から外れるが、1984年に代表復帰を果たしてロサンゼルスオリンピック予選に出場した。 1988年に現役を引退し、1989年から1991年までは日立の監督を務めた。柏レイソルのフロントスタッフを経て、現在はピュアネス・サッカースクールのスクールマスターを務めている。 清水エスパルスに所属する碓井健平は実子。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「碓井博行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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