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磐城の戦い : ウィキペディア日本語版
磐城の戦い[いわきのたたかい]

磐城の戦い(いわきのたたかい)とは、戊辰戦争時の慶応4年(1868年6月16日から8月7日にかけて後に磐城国として分離される地域(現在の福島県浜通り)で行われた、明治新政府軍と徳川旧幕府軍との一連の戦いの総称である。新政府軍の平潟上陸から中村藩の降伏まで続いた。戦闘の結果、奥羽越列藩同盟は浜通りを喪失すると共に、盟主仙台藩においては藩境に新政府軍を迎えることになった。
== 背景 ==

=== 新政府軍の戦力再編 ===


無血での江戸開城は大きな転換点となり、これまで旗色を明確にしていなかった西日本の諸藩も慶応4年にこぞって明治新政府軍に参加した。関東での徳川旧幕府勢力との戦いも、市川・船橋戦争から上野戦争へ至る一連の戦闘によって彰義隊らを壊滅させ、小康状態となった南関東から兵力を移動できる状態になっていた。
新政府側は西日本の諸藩の兵と関東の薩長の兵力を合わせて一軍を編成。当時は越後方面で勃発した北越戦争では双方大軍を展開しての膠着状態に陥っており、一方の奥州街道の要地である白河口では新政府東山道軍伊地知正治が度々旧幕府軍を撃破していた(白河口の戦い)が、戦力の不足が顕著であった。東征大総督府下参謀西郷隆盛は上野戦争の以前から「兵力が越後口に傾き過ぎ、白河口が寡少で均衡がとれないばかりか、四方を優勢な敵に囲まれている」と危惧を露にしていた〔大山(1968: 500)〕が、大村益次郎にまずは関東を平定してからと止められた経緯があり、板垣退助率いる土佐藩兵と薩摩藩兵を中心とする一軍が白河口への援軍に向けられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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