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磯風音次郎[いそかぜ おとじろう] 磯風 音次郎(いそかぜ おとじろう、嘉永元年7月20日(1848年8月18日) - 明治35年(1902年)6月7日)は、明治時代初期の力士、本名西村 長兵衛。 == 生涯 == 磯風音次郎は、近江滋賀郡松本村(現滋賀県大津市)に生まれ、本名は西村長兵衛と言った〔「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会 大和書房 1984年)〕〔「近江人物志」(滋賀縣教育會 文泉堂 1917年)〕。浜大津で沖仲仕をしながら素人相撲を取っていた。沖仲士としてある藩の御用金を運送中に粟津原(現滋賀県大津市晴嵐付近)で追剥に奪われ訴え出たところ、逆に役人が同業の者が遊ぶ金に使ったのだろうと疑われ、立派な力士になって見返してやろうと決意したと伝えられる〔。 明治元年(1868年)頃に京都の初島七蔵に弟子入りし西の大関となる〔〔。明治16年(1883年)東京で幕内格番付外、翌年客席(三役格)で場所をつとめ明治20年(1887年)頃横綱を自称したとされるが、明治23年(1890年)吉田司家から巡業横綱を許された〔〔〔京都大関で五条家横綱の磯風音次郎は1890年(明治23年)5月 吉田司家より横綱免許の記録有りとする文献有り- 読売新聞社 古今大相撲辞典 1980年(昭和55年)2月1日発行〕。この後『この地位を得られたのも、沖中士をしていた時に自分を誹謗した人のおかげ、その人こそ恩人なり』と語ったとされる〔〔。『磯風の土つかず』と言われ連戦連勝を誇ったとされる。明治27年(1894年)に力士を辞め、大津関寺町で米穀商を営み、明治35年(1902年)6月7日死去した〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「磯風音次郎」の詳細全文を読む
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