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祖門鉄翁 : ウィキペディア日本語版
鉄翁祖門[てつおう そもん]

鉄翁 祖門(てつおう そもん、寛政3年2月10日1791年3月14日) - 明治4年12月15日1872年1月24日))は、幕末長崎で活躍した南画家である。木下逸雲三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる。
本姓日高氏。は祖門、道号を鉄翁とした。別号に明言・魚光・銕道人・蓮舟人など、室号は太素軒
== 略伝 ==
長崎銀屋町の桶職人日高勘右衛門〔野母村の漁師の子説 林源吉「太素軒鉄翁略伝」1925年(長崎日日新聞)〕〔勘左衛門は誤り〕の子。11歳で父を亡くし、華嶽山春徳寺13世玄翁和尚に養育される。
幼少より画を好み、はじめ唐絵目利石崎融思漢画を、文化元年(1804年)からは来舶人の江稼圃に師事して南画を学ぶ。
師が没した文政3年(1820年)に春徳寺14世住持となる。文政10年(1827年)、51歳の田能村竹田が春徳寺の鉄翁を訪問。ふたりはこの邂逅を「前世からの知己」と大いに喜んだ。天保年間には親友木下逸雲とともに清人陳逸舟の門下となり、山水図蘭竹図の画法を伝授された。
56歳のときには京都大坂江戸に遊歴。特に京都では貫名海屋日根対山中西耕石安田老山金子雪操鼎金城前田半田らと交わった。
嘉永3年(1850年)、60歳で退隠すると東淵山雲龍寺に移り、居室を「太素軒」とし書画禅三昧の日々を過ごす。この時代を特に太素軒時代といい墨蘭竹図・山水図などに名品が多い。蘭竹画、とりわけ四君子のひとつ蘭画の第一人者として知られた。
維新後、再び春徳寺に戻り最晩年を過ごす。81歳にて入寂。。明治16年(1883年)に、門人・倉野煌園により『鉄翁画談』が上梓されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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