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『神々の深き欲望』(かみがみのふかきよくぼう)は、1968年公開の日本映画。今村昌平監督。今村プロダクション製作、日活配給。カラー / ワイド / 175分。 == 概要 == 構想6年、撮影に2年の歳月を費やした今村リアリズムの集大成とも言える渾身の作品。社団法人・映画輸出振興協会による輸出映画産業振興金融措置の融資を受けて、製作された映画である〔参議院会議録情報 第063回国会 文教委員会 第4号 〕。しかし、この作品の撮影で予算を使い過ぎてしまい今村プロダクションは、破綻寸前となってしまう。そのため今村はしばらく映画から離れることとなった。 今村作品では初のカラー作品で、赤土や太陽の暑さを描くために、赤味のあるアグファ社のカラーフィルムを使用した。沖縄県の南大東島、波照間島などで撮影が行われた。 竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは』(ちくま文庫)において、嵐寛寿郎がこの作品の撮影の過酷さを吐露している。今村が本作とは別に撮っていた映画『東シナ海』のロケで沖縄にいた嵐寛寿郎は「たったの1時間で石垣島までいける、もう1本撮りましょうや」と監督の今村に口説かれて首を縦に振ったところ、「1時間やったら、ギャラかせいでもええなあ。これが間ちがいのもとや、何が1時間ですか、南大東島まで持っていかれた。誘拐ですわゆうたら、1時間のはずが3カ月、半年、1年ちかく撮影かかりました。もうむちゃくちゃダ、暑いの何のムシ風呂でおます南大東島。」と語り、撮影に入る経緯を語っている。また、「おまけに今村昌平、自分ばかり女抱いとる。あの沖山秀子。これが頭おかしゅうなった、ビルから跳びましたやろ。7階も上から(今村との不倫が原因かは不明だが、精神疾患による自殺未遂を多数繰り返している)。ほてから生命たすかった、バケモノや。」「男優かて三国連太郎、破傷風にかかって、足1本なくすところでおましたんやで。それでも、まだこりずに、ゼニもらわんと、自費でやってきよりますのや。変なのばっかり。沖山秀子、監督と毎日オメコしとる、かくし立てしまへん。」等といった告白もしており、嵐自身も何度か撮影が嫌になって逃げ出したことがあったという。この映画の出来自体は「これほど印象深い作品はおまへんな。ブルーリボンの助演男優賞とった。本番18回のおかげや。ゆうたらまあ芸術映画ダ、キネマ旬報のベストワン。娯楽作品としても立派な出来やった」と述懐している。 上述で嵐が言うように、本作はキネマ旬報ベストテン第1位にランクインされたほか、毎日映画コンクール日本映画大賞・脚本賞・助演男優賞を受賞した。1999年にキネマ旬報社が発表した「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では55位にランクインされた(同じ順位に『キッズ・リターン』『台風クラブ』など)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神々の深き欲望」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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