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神保・稲葉夫人[じんぼう いなばふじん] 神保・稲葉夫人(じんぼう・いなばふじん、生没年不詳)とは、戦国時代の女性。最初は越中守山城の神保氏張の正室となり、後に離別して、稲葉貞通の継室となった。織田信秀の長女とされ、この場合は織田信長の姉となるが、妹とする異説も存在する。戒名は繁渓永昌大姉で、道号は繁渓。 == 生涯 == 最初、(領国を追放されて)京都にいた神保氏張に嫁いでいるが、これは信秀か信長の命令によるものかなど、結婚の経緯は定かではない。天正3年(1575年)に氏張との間に息子の氏長が生まれている〔。天正6年(1578年)4月、信長は氏張に越中平定のために帰国を命じて、飛騨の姉小路頼綱、北陸を指揮した柴田勝家に協力するように命じている〔。しかし結局、これに失敗しており、離別を命じられた。 信長の死後、天下の実権を握った豊臣秀吉は、美濃の稲葉貞通にこの後家を嫁がせた〔。貞通の正室は信長の舅・斎藤道三の娘であったが、この頃には死別していたため、秀吉が継室として嫁がせたという〔。貞通との間には男子が3人、女子が2人生まれている(貞通の嫡子・典通は斎藤道三正室との間の息子)〔。この内の1人は江戸幕府の旗本となった〔。 岐阜県揖斐郡揖斐川町の月桂院に墓がある。
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