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神奈川税務署員殉職事件(かながわぜいむしょいんじゅんしょくじけん)とは、1947年(昭和22年)6月23日に神奈川県川崎市桜本町(現在の川崎市川崎区桜本)で発生した在日朝鮮人による密造酒製造の取締りを発端とする在日朝鮮人の暴動と税関職員への襲撃、そしてそれによる職員の殉職事件である。 == 事件の発端 == 太平洋戦争終結後、極端な米不足のため、正規の酒の生産量が落ち込んでいた。その間隙を縫って「カストリ酒〔いわゆる「粕取り焼酎」とは別物である。〕」なる密造酒が横行しはじめた。1947年(昭和22年)9月時点の密造酒生産量は50万2000キロリットルで、正規の酒の生産量34万3000キロリットルを大幅に上回っていた〔吉田富士雄「密造酒」(『財政』昭和28年12月号、1953年)より〕。 これは従来のように農家の自家消費用としての密造酒ではなく、販売を目的とする大掛かりな密造で在日朝鮮人集落が密造の巣窟であった。 終戦後の食糧難という時代背景もあり、単に酒税収入の激減のみならず、米が酒用に転用される分、主食用の米が減ってしまうので、飢餓が起こる可能性が高かった。またこれらの酒の品質も劣悪で、中には有害なメチルアルコールを薄めたものまであったため、税務当局は健康上の観点からも厳しく取締りを行った。 当時の在日朝鮮人は、行政府職員への脅迫により米の配給を二重三重に受けることによって密造酒を醸造して闇に流すなどしており、深刻な問題となっていた。これらを取り締まろうとする税務署に対しては大勢で押し掛け、取締を行わないよう要求するなど組織的な妨害活動を繰り広げていた〔。 事件の発端となった川崎市桜本町の在日朝鮮人集落では、公然と密造酒を製造していた。多発していた在日朝鮮人による暴動に治安上の問題や共産主義革命の危険を感じたGHQの指令もあり、税務当局は一斉捜査を実施することになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神奈川税務署員殉職事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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