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神宮良一[じんぐう りょういち] 神宮 良一(じんぐう りょういち、1892年5月30日 - 1957年8月10日)は日本の医師。熊本市の私立ハンセン病病院の回春病院、国立療養所長島愛生園、国立療養所邑久光明園に勤務した。邑久光明園では園長を務めた。医学博士である。 ==経歴== 佐賀県の産婦人科医神宮良明、サノの一人息子であったが、彼は何かの理由で彼は医学校には受験せず、小学校に教員をしていた。同じ学校に勤めていた一歳下の婚約者の励ましもあり、熊本医専に入学したのが1915年(23歳)であった。1918年卒業後、結婚、関釜連絡船船医をつとめ、その後、勤務医を経て、1921年、釜山で産婦人科を開業した。釜山における名士の檜垣直記の影響で、クリスチャンとして洗礼を受けた。当時釜山の道立病院の産婦人科科医長池上五郎が熊本医大の教授になり、研究など便宜をはかっていいと言われたので、熊本にきた。前述の檜垣直記の紹介で、前園長の三宅俊輔が死亡し困っている私立のハンセン病病院、回春病院(ハンナ・リデル設立)の院長に1926年6月に就任〔内田〕〔内田〕。
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