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神幸 勝紀(しんこう かつのり、本名:小林 二男(こばやし ふたお)、1950年1月2日- )は、大相撲の伊勢ヶ濱部屋に所属していた山形県西置賜郡小国町出身の力士である。最高位は西前頭8枚目(1980年7月場所)。現役時代の体格は188cm、136kg。得意手は左四つ、上手投げ。 == 来歴・人物 == 小国町立小国中学校在学時より柔道で活躍し、地元の県立小国高校でも柔道を続けた(2段まで昇ったという)。2年生の時、伊勢ヶ濱親方(元横綱・照國)のスカウトを受け、高校を中退して伊勢ヶ濱部屋に入門。1966年9月、16歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の大関・魁傑らがいる。 当初の四股名は、本名と同一の「小林」。その後、「大神幸」(1967年3月場所~)から「神幸」(1970年1月場所~)へと2度四股名を改めたが、「大神幸」「神幸」という名はいずれも自分で付けたものである(「神幸祭」に因む、という)。 右肩の脱臼などの故障により長い幕下暮らしが続いたが、1976年9月、初土俵から丸10年で漸く十両に昇進。その時は1場所で幕下に下がったが、2年後2度目の十両昇進を果たすと、以後は引退まで関取の地位を守り抜く事となる。 そして、1980年5月場所で、悲願の新入幕を遂げた。 序ノ口に付いてから約13年半でやっと掴んだ幕内の座であったが、入幕までの所要81場所は、それまでトップであった牧本(時津風部屋、1972年9月場所で入幕)の同74場所を7場所も更新するスロー入幕の新記録であった(その後、大乃花(大鵬部屋)や貴ノ嶺(井筒部屋)らが更新、2014年7月現在の記録保持者は星岩涛(陸奥部屋))。 以降は幕内下位から十両で活躍したが、得意技が右上手投げのみという事もあり、恵まれた体格を生かし切れなかった。西十両尻(13枚目)で大敗した1983年11月場所を以って、33歳で引退。 引退後は年寄・中村、のち高嶋(いずれも借株)を襲名したが、1987年3月場所後に廃業した。 その後は、東京都豊島区駒込や同北区にて、相撲料理の店を経営した(東関部屋のコーチを務めていた時期もあった)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神幸勝紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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