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神指城[こうざしじょう]
神指城(こうざしじょう)は、福島県会津若松市にあった日本の城である。 == 概要 == 慶長3年(1598年)正月、会津へ移封の命を受けた上杉景勝は〔木村徳衛『直江兼続伝』(私家版、1944年)277頁〕、会津盆地の東南隅に位置する若松城が狭隘であることを患い〔木村徳衛『直江兼続伝』(私家版、1944年)278頁〕、慶長5年(1600年)2月10日より盆地中央で阿賀川畔の神指ヶ原に新たな城の建設をはじめた。惣奉行は直江兼続、小奉行は小国但馬、甘糟備後、山田喜右衛門があたっている〔石田明夫「神指城と幻の白河合戦」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年)70頁〕。 慶長5年2月10日(1600年5月1日)から築城を開始した〔石田明夫「神指城と幻の白河合戦」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年)70頁〕。越後、仙道、米沢、会津四郡の人夫12万人〔石田明夫「神指城と幻の白河合戦」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年)70頁〕を動員、本丸は3月18日より6月1日まで石塁を築き、二の丸は5月10日(6月20日)に始まり、6月1日(7月11日)に塁や堀の形が備わったが〔石田明夫「神指城と幻の白河合戦」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年)70頁〕、この城は6月の酷暑のために休工、さらに徳川家康の会津征伐により6月10日(7月20日)竣工にいたらなかった〔木村徳衛『直江兼続伝』(私家版、1944年)278頁〕。 関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)8月に上杉景勝は米沢へ移封となり、完成を待たずして神指城は破却され、慶長年間に、石垣は若松城へ運ばれたようである〔石田明夫「神指城と幻の白河合戦」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年)72頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神指城」の詳細全文を読む
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