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神津専三郎
神津 専三郎(こうづ せんざぶろう、1852年4月23日(嘉永5年3月5日) - 1897年(明治30年)8月18日)は明治時代の日本の音楽教育者。名は仙三郎とも書かれる。 == 来歴 == 信濃国小県郡芝生田村(現・長野県小諸市)に生まれ、のちに神津家の養子となる。旧姓は小林。小諸藩儒の中山仙に学んだのち上京し、箕作秋坪の三叉学舎、中村正直の同人社で英語を学び、キリスト教に入信した。 1875年、伊沢修二、高嶺秀夫と共に文部省からアメリカ合衆国派遣を命ぜられ、ニューヨーク州オルバニーの州立師範学校に2年間留学。1878年に帰国すると東京女子師範学校訓導兼監事となり、次いで伊沢の元で音楽取調掛監事に就任し、西洋音楽史の講義や教材の日本語訳に努めた。1892年、東京音楽学校教授に就任。1895年に伊沢が台湾総督府学務部長に転じると彼に随行し学務部編纂課長となったが、「日台対訳大辞典」の編纂の途上、マラリアに罹患して病死した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神津専三郎」の詳細全文を読む
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