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神田博 : ウィキペディア日本語版
神田博[かんだ ひろし]

神田 博(かんだ ひろし、1903年12月25日1977年6月30日)は、昭和期の政治家厚生大臣
==来歴・人物==
現在の新潟県東蒲原郡阿賀町に生まれる。1928年法政大学専門部法律科を卒業後内務省に入る。同省地方局から静岡県属となり、水産、人事、秘書、商工の各課長を務める。その後理研軽金属工業静岡工場長を経て、1946年第22回衆議院議員総選挙自由党から旧静岡1区にて立候補し当選を果たす(当選同期に小坂善太郎二階堂進江崎真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太原健三郎川崎秀二井出一太郎早川崇中野四郎など)。以後当選8回。村上勇とともに、大野伴睦の最も早い時期からの側近であった。
豪快な性格でガラッパチと呼ばれ、いかにも浪花節の大野派らしい野人的な党人派政治家であった。また厚生行政に詳しく、1956年石橋内閣にて、および1964年第3次池田内閣改造内閣でそれぞれ厚生大臣として入閣。1965年には従来支給額5,000円であった厚生年金を1万円に引き上げる「一万円年金」法案を可決に導いた。
1972年の総選挙で落選すると、1974年第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し当選する。1974年勲一等瑞宝章受章。1977年6月30日、参議院議員在職中に73歳で死去。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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