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神田考平 : ウィキペディア日本語版
神田孝平[かんだ たかひら]

神田 孝平(かんだ たかひら、1830年10月31日文政13年9月15日) - 1898年明治31年)7月5日)は、日本洋学者政治家兵庫県元老院議官貴族院議員を歴任した。男爵美濃国不破郡岩手村(現・岐阜県不破郡垂井町岩手)出身。通称、孝平(こうへい)。
== 経歴 ==
岩手旗本竹中家家臣神田孟明の側室の子として、岩手に生まれた。牧善輔松崎慊堂らに漢学を、杉田成卿伊東玄朴蘭学を学ぶ。文久2年(1862年)、幕府蕃書調所教授となり慶応4年(1868年)3月4日には同頭取に昇進。
江戸開城後の明治元年(1868年)に明治政府に1等訳官として招聘される。明治4年(1871年11月20日に兵庫県令(現在の兵庫県知事)に就任し、明治9年(1876年9月3日まで務める。その間、明治3年(1870年)頃より地租改正を建議するとともに農民の土地売買の自由を唱えるなど当時としては画期的な提案を行い、同8年(1875年)の地方官会議では幹事役を務めて、後の公選民会の実現に貢献する。明治7年(1876年)に元老院議官、明治23年(1890年)に貴族院議員に選出。同年10月20日、錦鶏間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。明治31年(1898年)、死に際して男爵に叙任される。脊髄病のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)9頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kanda Takahira 」があります。



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