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福原元貞[ふくばら もとさだ] 福原 元貞(ふくばら もとさだ、宝永5年(1708年) - 寛保元年3月15日(1741年4月30日))は、長州藩永代家老・宇部領主福原家18代。 父は益田就賢。母は側室の女。養父は福原広泰。正室は福原元房の娘。兄に益田元道、子に福原広門がいる。初名は福原国禎(くにさだ)。通称は主殿、豊後。 == 生涯 == 宝永5年(1708年)長州藩家老益田就賢の次男として生まれる。享保10年(1725年)、就賢の正室の義弟である福原広泰が嗣子なくして没したため、その養子となって福原家の家督およびその遺跡を相続。同年、藩主毛利吉元の偏諱を受け、元貞と改名。享保11年(1726年)大頭役を務める。享保19年辞任。享保20年(1735年)桜町天皇即位式の祝賀使として仙洞御所に使いする。元文3年(1534年)梶返天満宮を再建する。 寛保元年(1741年)3月15日死去。享年34。家督は嫡男の広門が相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福原元貞」の詳細全文を読む
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