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福原銭太郎
福原 銭太郎(ふくはら せんたろう、慶応3年2月24日〔『遺徳顕彰録』pp.176-177〕(1867年3月29日) - 昭和13年(1938年)9月26日〔)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。三重県桑名町長、長島村長。 == 人物 == 伊勢国桑名郡長島村(現在の三重県桑名市)出身。1884年(明治17年)に陸軍士官学校(旧9期)に入学し、1887年(明治20年)に卒業〔『人物月旦』pp.1-2〕。同年7月〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』78頁。〕歩兵少尉に任官し、陸軍大学校(10期)で学び〔『日本陸海軍総合事典』第2版、548頁。〕、日清戦争に出征した〔。陸軍士官学校教官、参謀本部部員、近衛師団参謀を歴任〔。日露戦争時には第12師団高級参謀を務め〔、その後は留守第12師団参謀長、歩兵第68連隊初代連隊長、臨時朝鮮派遣歩兵第1連隊長〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』80頁。〕、第16師団参謀長〔、第26旅団長を歴任した〔。1916年(大正5年)8月〔、独立守備隊司令官に就任し〔、在任中に鄭家屯事件の対応にあたった〔。1918年(大正7年)7月24日、中将に昇進と同時に待命となり〔、翌年1月15日〔に予備役編入となった〔。 1920年(大正9年)、桑名町長に選出され〔、10年間在職した〔。また1922年(大正11年)には三重県会議員に当選し、2期務めた〔。その後、1931年(昭和6年)から1933年(昭和8年)まで長島村長を務めた〔。
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