|
福原 麟太郎(ふくはら りんたろう、1894年10月23日 - 1981年1月18日)は、日本の英文学者、随筆家。福山市名誉市民。 == 生涯 == 広島県沼隈郡神村(現・福山市)生まれ。1912年、広島県立福山中学校(現・福山誠之館高校)卒、東京高等師範学校英語科に学び、在学中、チェスタトンの探偵小説を訳し、『英語青年』に掲載、17年、卒業、20年、研究科修了、この間、『英語青年』の編集に携わる。21年、母校助教授、著書、訳註を何冊か刊行ののち、29年、文部省在外研修員として英国・ロンドン大学とケンブリッジ大学に留学しトマス・グレイを研究する。ヨーロッパ、米国旅行を経て31年帰国、東京文理科大学助教授に就く。 1939年教授となり、英文学研究の指導的立場に立つ。太平洋戦争直後の1946年から1953年まで日本英文学会会長を務めた。1949年から1953年まで、東京教育大学文学部長(戦後学制改革し発足)。定年退官後は共立女子大学教授を務め、英文学研究で大きな著作を出版した。1963年4月から1969年3月まで中央大学文学部教授に就いた。 1953年に吉田健一・河上徹太郎・池島信平と戦後初の渡英。1955年に『近代の英文学 福原麟太郎先生還暦記念論文集刊行会』(研究社出版)が出版された。 1960年、『トマス・グレイの英詩研究』で東京教育大学から文学博士号授与。『トマス・グレイ研究抄』で1961年、『チャールズ・ラム伝』で1964年、二度にわたって読売文学賞受賞。1963年、「英文学を基盤とする随筆一般」の活動に対して日本芸術院賞受賞し〔『朝日新聞』1963年4月10日(東京本社発行)朝刊、14頁。〕、1964年に日本芸術院会員となる〔『朝日新聞』1963年11月29日(東京本社発行)朝刊、14頁。〕。1968年には文化功労者として表彰。1968-69年には『福原麟太郎著作集』(研究社出版)が刊行。 英文学研究に加え、随筆家として『読書と或る人生』、『われ愚人を愛す』など多数著し、晩年を経て、その文学活動は円熟味を増し高く評価された。没後に福武書店で『福原麟太郎随筆全集』が刊行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福原麟太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|