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福山 重一(ふくやま しげかず、1909年1月21日 - 1992年9月21日)は、日本の経済学者。教育者。 == 経歴 == 関西学院中学部、関西学院高等商業学部卒業、関西学院大学法学部卒。 国立大阪青年師範学校、大阪府立大学教育学部で教鞭を執り、教育理念を巡り学長と争って罷免された後、自らの理念を私学で再建する場として芦屋大学を創設。 夫人は芦屋高等女学校(現・芦屋学園中学校・高等学校)創立者の福山起彌である。1960年に芦屋女子短期大学学長に就任し、1964年に芦屋大学初代学長に就任、1968年に学校法人芦屋学園理事長に就任した。 職業指導学の研究に取り組み、芦屋大学で合計7回にわたって開催された職業指導学国際会議では、終身議長を務めた。F式選職能力テストの開発に取り組み、このテストは80年代にアメリカ合衆国など諸外国で採用され、注目を浴びた。また、当時の内閣総理大臣や文部大臣、海外の教育関係者とも多く会談を行い、国内外の教育界でも注目される存在であった。 1980年代後半にソビエト連邦のペレストロイカにおいてこの職業指導学が採用され、当時のソ連高等中等専門教育大臣、モスクワ大学総長を始めとするソ連の教育関係者と度々の会談を行い、ソ連の教育システム構築に関わった。1988年にモスクワ大学名誉教授学位を授与され、1991年には同大学名誉博士学位を授与された〔2006年芦屋大学入学案内〕。 1981年には大阪府教育委員会委員長に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福山重一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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