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福岡干孝[ふくおか ゆきたか]
福岡 干孝(ふくおか ゆきたか、弘治3年(1557年) - 寛永9年6月13日(1632年7月29日))は、日本の戦国武将。土佐藩初期の重臣。 == 生涯 == 通称は市右衛門、内膳、丹波。父は大和国添上郡狭河城主で松永氏、筒井氏に仕えた福岡重孝。 幼少のころは大和信貴山城の松永氏の人質となる。松永氏滅亡後は諸所を流浪したのち、1582年、近江長浜城主となった山内一豊に仕えた。小田原征伐では山中城攻略戦で功を立てる。山内氏の掛川城移封により500石給われて仕置役になる。熟慮断行で経済の才にすぐれ、軍資金調達や運用に手腕を発揮した。関ヶ原の戦い後の山内氏の土佐入国にあたり、1,000石を給されて中老についた。 2代藩主山内忠義のとき、老年の故をもって辞職した。元和末年に至り、幕府の課役に苦しんだ土佐藩は干孝を旧職に復して対策を請ぜさせて、また藩財政の整理をした。1632年(寛永9年)6月13日没。76歳。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福岡干孝」の詳細全文を読む
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