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福本 邦雄(ふくもと くにお、1927年 - 2010年11月1日)は日本の実業家、画商、政治活動家。元日本共産党員。 戦前の日本共産党指導者・福本和夫の長男。政界最後のフィクサーとも呼ばれ、政財界の深部に入りこんで暗躍した。 == 経歴 == 神奈川県出身〔。東京大学経済学部卒業。1951年、産業経済新聞社入社、産経新聞で記者兼研究員として勤務。その後自民党の有力者椎名悦三郎の秘書となり政界に人脈を築く。 1960年、安保闘争での自衛隊出動の検討と要請を受けた椎名と赤城宗徳に水野成夫とともに反対するよう働きかけ、また樺美智子の死亡事件では岸信介首相に政府声明を出すことを提案し、渡邉恒雄に書かせた。 1965年に画廊フジ・アートを開く。絵画ビジネスを看板に政財界に食い込む。中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄、中川一郎のようなニューリーダーの政治団体代表兼会計責任者を務め、歴代首相の中でも特に竹下登とは竹下の実母が福本和夫の教え子〔高橋利行『永田町の愛すべき悪党たち: 「派閥政治」の暗闘と崩壊』146頁〕だったことから親しくした。 1989年、KBS京都(近畿放送、現・京都放送)社長に就任。福本の社長時代に、KBS京都資産に対するダイエーファイナンスの根抵当が設定され、イトマン事件につながることとなる。1991年6月、事件で強制捜査を受けた直後の株主総会で社長を辞任した。 2000年、中尾栄一元建設大臣が収賄容疑で逮捕された若築建設事件の共犯者として逮捕される(処分保留、起訴猶予で釈放)〔『昭和・平成 日本 黒幕列伝 時代を動かした闇の怪物たち』52頁〕。 2010年11月1日、敗血症のため死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福本邦雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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