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福永武彦 : ウィキペディア日本語版
福永武彦[ふくなが たけひこ]

福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年大正7年)3月19日 - 1979年昭和54年)8月13日)は、日本小説家詩人フランス文学者
== 略歴 ==
東京帝国大学の学生であった福永末次郎と日本聖公会伝道師であったトヨの長男として、福岡県筑紫郡二日市町(現・筑紫野市二日市)に生まれる。東大卒業後に三井銀行に就職した父・末次郎の転勤によって、横浜市、佐世保市、福岡市で過ごし、1926年6月、東京に転居する。その前年の1925年3月に母・トヨは弟・文彦を生んだが、翌月産褥熱のため死去している。
開成中学第一高等学校を経て、1941年、東京帝国大学文学部仏文科を卒業する。1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、3ヶ月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、翌年再び帯広に渡り、帯広中学校の英語教師として赴任する〔この時期(1945年から1947年)の日記が『福永武彦戦後日記』。
〕。その年に処女作「塔」を発表する。しかし冬に肋膜炎を再発し、1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
その間に同級生(旧制高校)の中村真一郎加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、日本語での押韻定型詩の可能性を追求した。戦後、この3人で『1946年・文学的考察』を刊行し、戦場での体験や左翼運動を経験した第一次戦後派作家とは距離をおいた文学活動をはじめた。
1954年の長編小説『草の花』で作家としての地位を確立し、人間心理の深奥をさぐる多くの長編小説を発表した。また、中村真一郎とともに堀辰雄の薫陶を受け、『堀辰雄全集』の編纂にもかかわった。1961年学習院大学教授。フランス文学を中心にヨーロッパの文学動向を論じた〔その際の講義ノートを編集したものが没後『二十世紀小説論』として刊行された〕。ボードレールなどの翻訳や芸術家を主題にしたエッセイ、古典の現代語訳(『日本書紀』、『古事記』『今昔物語集』)もある。
また、中村真一郎・堀田善衛とともに映画『モスラ』の原作となる『発光妖精とモスラ』を執筆、中村真一郎・丸谷才一と組んで、西洋推理小説をめぐるエッセイ『深夜の散歩』を刊行し、さらに加田伶太郎の名前で推理小説を書いた。
幼少時にキリスト教伝道師である母親のもとを離れて、父親に預けられた。母親との約束を守り、父親は開成中学時代までは教会に武彦を連れて出席した。しかしその後、武彦は教会から遠ざかる。死の2年前、1977年キリスト教朝顔教会井出定治牧師により、病床洗礼を受け、クリスチャンになった。死ぬまでの2年間は教会に通い、聖書をギリシア語などで、原典に忠実に読んだ。1979年脳内出血で死去した。朝顔教会で教会葬〔清水氾「日本文学とキリスト教」『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年、996ページ〕を行った。
同人仲間の原條あき子(詩人、2003年没)と1944年に結婚したが、1950年に離婚。二人の間に作家池澤夏樹がおり、更にその娘が声優池澤春菜である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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