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福澤桃介[ふくざわ ももすけ]
福澤 桃介(ふくざわ ももすけ、慶應4年6月25日(新暦:1868年8月13日) - 1938年(昭和13年)2月15日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の実業家。 旧姓は岩崎で、福澤諭吉の婿養子となり福澤姓を名乗る。相場師として日露戦争後の株式投機で財を成し、その後実業界に転ずる。主として電気事業に関与し、名古屋電灯を買収して社長となり木曽川などで水力開発を手がけ、後に大手電力会社大同電力の初代社長となった。これらの電気事業での活動により「電気王」「電力王」と呼ばれるに至る。また、実業家としての活動の傍ら、一時期衆議院議員(当選1回)も務めたことがある。 == 概要 == 慶應4年(1868年)生まれ、武蔵国(埼玉県)出身。慶應義塾在学中に創設者福澤諭吉の養子(婿養子)となり、岩崎桃介を改め福澤桃介を名乗る。アメリカ留学の後、1889年(明治22年)より北海道炭礦鉄道(後の北海道炭礦汽船)に勤めるが、結核を患い辞職。療養生活中に株式投資に手を染めた。1898年(明治31年)から10年の間は製紙会社勤務、独立した商店の経営と失敗、再度の北海道炭礦鉄道勤務、日露戦争後の株式市場での活躍、紡績・肥料・ビール・鉱山・ガス事業などでの起業・投資、と複数の事業や会社に関係したが、最終的には電気事業の経営に落ち着いた〔『福澤桃介翁伝』199-200・253-254頁〕。 電気事業では1909年(明治42年)より中部地方の名古屋電灯を買収する。これに前後して他にも九州地方をはじめ各地の電気事業に関与した。1912年(明治45年)から1914年(大正3年)まで衆議院議員を1期のみ務め、1914年には名古屋電灯社長に就任して木曽川開発に着手。1921年(大正10年)、戦前期の業界大手「五大電力」の一角である大同電力初代社長に転じ、大井ダムをはじめとする木曽川の電源開発を主導した。電気事業での活動により「電気王」「電力王」の異名を取るに至る〔桃介自身は「電気王」と言っている(『福澤桃介翁伝』逸話篇「桃介翁の失敗談」178頁、など)。「電力王」の表現は死後刊行の伝記『激流の人 電力王福澤桃介の生涯』(矢田弥八著、光風社書店、1968年)、『電力王福沢桃介』(堀和久著、ぱる出版、1984年)や『財界の鬼才』(宮寺敏雄著、四季社、1953年)中の「第四話 事業界に入り電力王となる」など。〕。1928年(昭和3年)に実業界を引退し、1938年(昭和13年)に死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福澤桃介」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Momosuke Fukuzawa 」があります。
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