翻訳と辞書 |
福澤アクリヴィ[ふくざわ あくりびぃ] 福澤 アクリヴィ(ふくざわ あくりびぃ、1916年12月12日 - 2001年12月16日)は、日本の声楽家。元慶応大教授福澤進太郎の妻〔著名人の訃報 〕。カーレーサー福澤幸雄は長男〔。 == 来歴 ==
=== 生い立ち === 1916年12月12日、オスマン帝国(現トルコ)の首都コンスタンティノープル(イスタンブル)にギリシャ系両親の長女として生まれる〔『東京音楽大学ニュース19』 1982年 夏季号より 〕。父は南ギリシャのスパルタ近郊で生まれたが、幼いときに孤児となり、当時コンスタンティノープルギリシャ正教会の神父であった叔父に引き取られて養育された〔。 母は印刷業を営むかなり裕福な家庭に生まれ、フランス系ミッションスクールで教育を受けたが、手先が器用で刺繍、その他手芸を好み、父親が事業に失敗してからは、刺繍、裁縫などで家計を助けた〔。当時、絹糸、組紐などの商いをしていた青年時代の父に出合い、恋愛結婚をしてアクリヴィが生まれた〔。若い両親は共稼ぎで暮らしも楽ではなかった〔。1917年、まず父が国境を越えて母国ギリシャに戻り、サロニカに織物業の開店準備をした〔。数ヶ月後、まだ赤ん坊のアクリヴィを抱いた母もサロニカにたどりつき、ギリシャでの生活が始まった〔。父は毎日店に行き、母も大きなドレスメーカーに通って仕事をするため、アクリヴィは朝から夕方まで近所の私設託児所に預けられた〔。ところが、一日アクリヴィはまったくほったらかしにされていたらしく、親切な近所のおばさんが見かねて母に忠告し、母はドレスメーカー通いをやめて、独立して家で仕事をするようになった〔。幸いにお客に評判がよく、繁盛するようになり、お店の規模も次第に大きくなっていった〔。父の織物業も好調で、暮らしも楽になり、5、6歳のころ、音楽好きの両親はピアノを買ってくれた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福澤アクリヴィ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|