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福田善之[ふくだ よしゆき]
福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月21日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優。本名、鴻巣 泰三。 == 来歴 == 東京市日本橋生まれ。父は福田利三郎、母は鴻巣以知。1937年に父が他界し、福田家と縁が切れる。新制麻布高等学校を経て、1954年に東京大学仏文科を卒業。在学中に藤田朝也(ふじたあさや)と『富士山麓』を共作、1953年の五月祭で上演する。 「東京タイムス」の記者を務めたのち、岡倉士朗の誘いで演出助手を務める。1957年、『長い墓標の列』を発表。1958年に『オッペケペ』で芸術祭奨励賞を受賞した。1960年に観世栄夫らと青年芸術劇場を結成。1963年の『真田風雲録』では、真田十勇士に託して学生運動を風刺した。1964年、『袴垂れはどこだ』で岸田国士戯曲賞を受賞するが、審査委員への不信を理由に辞退する。 1966年、青年芸術劇場を解散。1969年、大逆事件を主題にした『魔女伝説』を執筆する(主演は渡辺美佐子)。この戯曲は佐藤信の解説(「いま重層的表現とは何か」)を附して刊行された。1970年代には新しい大衆演劇を目指し、人形劇の結城座と組んで『お花ゆめ地獄』のような夢幻傀儡劇を上演。またシェイクスピア作品の上演やミュージカルの演出も行う。 テレビドラマのシナリオ執筆も数多く、1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』を担当している。俳優としても、ウルトラシリーズに博士役で3度出演した(『ウルトラマン』第19話「悪魔はふたたび」、第22話「地上破壊工作」、『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」)。日本演出家協会創設に参画、理事・理事長を歴任。『九条の会』賛同者でもある。大河ドラマの脚本・出演の両方を経験した人物は、福田と三谷幸喜の2人しかいない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福田善之」の詳細全文を読む
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