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福田 蘭童(ふくだ らんどう、1905年5月15日 - 1976年10月8日)は音楽家。 本名は石渡幸彦(さちひこ)。青木繁と洋画家の福田たね(1885-1968〔日本人名大辞典〕)の息子として茨城県真壁郡伊讃村(いさむら)川島(現在の筑西市)の木賃宿で生まれる(ただし正式な結婚ではなかったため出生届は、たねの末弟として提出されている)。福田家の援助により、茨城や栃木を転々として育つ。2歳で父と生別。青木は父親の葬儀のために故郷の九州に赴いたまま戻らず、それを追って母たねも蘭童を実家において家を出た。その3年後、父が九州で他界する。たねの父・福田豊吉は教師で、栃木県水橋村で私塾を開いており、蘭童は父母を知らずに育った。 東京の尾泉尺八研究所や琴古流の関口月童、水野呂童に師事。室崎琴月の真島音楽院でピアノやバイオリンも学ぶ。尺八奏者として知られる傍ら、作曲家としても活躍。日本放送協会のラジオ番組「新諸国物語・笛吹童子」のオープニングテーマ及び劇中曲を手がけるなど、ラジオ草創期においてその才能を発揮した。また、料理や釣りにも長じた趣味人として知られ、開高健や志賀直哉など多くの文化人と交流があった。 また映画音楽も手がけたが、1935年、映画撮影の為にロケ地の大島へ向かう途中の船上で出演女優の川崎弘子を犯すという事件を引き起こして、これが「レイプ」として世間の批判を浴びた。この事件については、松竹蒲田撮影所の当時の所長であった城戸四郎に責任をとるように迫られて、元妻と離婚して川崎弘子と再婚した。 なお、後にハナ肇とクレージーキャッツのメンバーとなる石橋エータローは、川崎との結婚のために離婚した元妻との間にできた子供である。 ==著書== *『蘭童捕物帖』四季社、1951年 *『わが釣魚伝』二見書房、1976年 *『志賀先生の台所』現代企画室、1976年 *『画家の後裔』講談社、1979年 - 石橋エータローとの共著 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福田蘭童」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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