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禰寝 重永(ねじめ しげなが、元和8年(1622年) - 貞享5年8月23日(1688年9月17日))は、江戸時代前期の薩摩藩士。吉利郷私領主の禰寝家当主。 通称は七郎、右近。 == 生涯 == 元和8年(1622年)、薩摩藩主島津家久の八男として生まれる。母は鎌田政重の娘。幼名は康千代。寛永11年(1634年)、家久の命で九弟の福寿丸に代わって禰寝家を相続する。寛永19年(1642年)、八番組頭役となる。慶安2年(1649年)、藩主島津光久の使いで江戸城に登城して、将軍徳川家光に拝謁する。寛文7年(1667年)、隠居して家督を嫡男の清賢(清雄)に譲り、三兄島津忠朗の領地加治木に隠棲した。貞享5年(1688年)8月23日死去、享年67。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「禰寝重永」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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