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私学校 : ウィキペディア日本語版
私学校[しがっこう]

私学校(しがっこう)とは、明治初期に鹿児島県に存在した学校の俗称。西南戦争の直接的原因を作り、また薩軍側の主力を輩出した学校である。
場所は鹿児島市城山町(現、鹿児島医療センター)にあった。
== 概略 ==
1874年明治7年)6月、下野した西郷隆盛は旧鹿児島城(鶴丸城)内に陸軍士官養成のための「幼年学校」「銃隊学校」「砲隊学校」の三校を設立した〔私学校とは - コトバンク(世界大百科事典第2版)、2013年8月5日閲覧。〕。幼年学校は明治維新に功績を挙げたものに与えられた賞典禄によって設立されたことから、「賞典学校」とも呼ばれる。西郷隆盛が二千石、鹿児島県令大山綱良が八百石、桐野利秋が二百石を拠出し、また参議大久保利通も千八百石を拠出した。残る二校の費用は「私学校」という名前とは裏腹に、県の予算より支出された(大山綱良の項参照)。また鹿児島県内各地に分校が設置された〔私学校跡 - 鹿児島市、2013年8月5日閲覧。〕。
教務は主に漢文の素読と軍事教練にあった。設立の真の目的は不平士族の暴発を防ぐ事にあったとされる。そのため入学できるのは士族、それも元城下士出身者に限られた。
1877年(明治10年)1月29日、大久保利通川路利良らが陰謀を企てたとして激高した同校生徒が鹿児島の鎮台の弾薬庫襲撃を行い、これがきっかけとなり西南戦争が起こった。同校は同戦争後廃止された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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