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秋元 宏作(あきもと こうさく、1968年1月29日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(捕手)。 現在は埼玉西武ライオンズの二軍バッテリーコーチ。 == 来歴・人物 == 国学院久我山高等学校では1985年の第57回選抜高等学校野球大会に捕手、四番打者として出場するが、1回戦で松商学園に敗れる〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、8ページ〕。同年全国高等学校野球選手権西東京大会でも準決勝に進むが、日大三高に敗退。卒業後は日本大学に進学も、野球部には入らず母校のコーチを務めていた〔。 1986年ドラフト外で指名され、日大を中退して入団〔。1987年アメリカ1A・サンノゼ・ビーズで野球留学していた〔。西武時代は一軍出場がなかったが、1990年開幕直前、村岡耕一・河野誉彦との交換トレードで駒崎幸一・青山道雄と共に大洋ホエールズへ移籍すると1軍に定着し、1995年には101試合に出場した。2000年限りで現役を引退。引退後は横浜の球団職員、バッテリーコーチを歴任している。 この時期の大洋には、もう一人の正捕手候補として谷繁元信がいたが、打力と盗塁阻止は谷繁より劣るものの、守備やリードは秋元のほうが巧みであり投手陣には好評であった。特に佐々木主浩とは相性がよく、谷繁が先発している試合でも佐々木がリリーフ登板する際には秋元が交代してマスクをかぶることがたびたびあった。 横浜では、2001年一軍バッテリーコーチ、2002年~2005年二軍バッテリーコーチ、2006年~2007年は一軍バッテリーコーチ、2008年~2009年二軍バッテリーコーチ、2010年は二軍育成コーチを務めた。2011年からは古巣・埼玉西武ライオンズの二軍バッテリーコーチを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋元宏作」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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