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秋元永朝[あきもと つねとも]
秋元 永朝(あきもと つねとも)は、出羽山形藩の第2代藩主。館林藩秋元家8代。 == 生涯 == 元文3年(1738年)4月15日、5000石を領した大身旗本・上田義当の四男として生まれる。義当は初代藩主秋元凉朝の実兄であった。凉朝が初め養子としていた逵朝が早世したため、宝暦10年(1760年)2月に凉朝の養子となる。7月には従五位下、摂津守に叙位・任官する。明和5年(1768年)5月24日、凉朝が隠居したため家督を継いだ。 安永3年(1774年)12月、奏者番に任じられる。安永8年(1779年)9月、仕事中における失態があったため、10月まで出仕停止処分となった。安永9年(1780年)12月、但馬守に遷任する。 天明3年(1783年)、村山郡が凶作となり、それが原因で天明4年(1784年)5月に藩内で米騒動・打ちこわしが起こった。天明8年(1788年)7月、奏者番を辞任する。寛政10年(1798年)12月、従四位下に昇叙する。 文化7年(1810年)7月9日に死去した。享年73。跡を五男の久朝が継いだ。なお、永朝は将棋を愛好し、八世名人九代大橋宗桂の弟子に名を連ねた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋元永朝」の詳細全文を読む
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