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秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2007年4月25日)は、日本の医学者、精神科医。 == 経歴 == 長野県長野市出身。一家は旧諏訪藩士の家系。3歳時に一家で上京。旧制京華中学、1925年旧制松本高等学校理科甲類を卒業、1929年東京帝国大学(後の東京大学)医学部卒業。その後北海道帝国大学(後の北海道大学)医学部助手に就任。その後、東京帝国大学医学部副手、同学部講師、旧制金沢医科大学(後の金沢大学医学部)教授を経て1958年に東京大学医学部教授に就任した。1936年医学博士(北海道大学)。論文の題は「失行症本質論 」〔博士論文書誌データベース〕。 長く日本の精神医学界の権威として活躍。帝銀事件に関して、平沢貞通の有罪の証拠とされた精神鑑定の結果を誤りであると指摘し注目を集めた。また、100歳を超えてからオウム真理教教祖の麻原彰晃(松本智津夫)の精神鑑定を行って話題を呼んだ。 1977年叙勲二等授旭日重光章。 ほかに、平沢貞通氏を救う会会長、国立武蔵療養所名誉所長、東京都立松沢病院院長、日本精神衛生会会長、日本精神保健政策研究会会長、きょうされん理事長などの要職を歴任した。 病体生理研究所を創立した秋元寿恵夫は実弟である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋元波留夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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