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秋山昌詮[あきやま まさのり]
秋山 昌詮(あきやま まさのり、天文20年〔死没時の年齢から逆算。〕(1551年) - 天正7年(1579年)7月23日〔没年は『本土寺過去帳』に拠る。〕)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。別名に景詮。幼名は源蔵。諱の昌詮は『甲斐国志』に拠るが文書からは確認されず、受領名は左衛門佐が見られる。 武田氏庶流の金丸氏の出自で、父は金丸筑前守(虎義)。兄弟に昌直、土屋氏を継承した土屋昌続・昌恒、定光、秋山源三郎(親久)がいる。 昌詮は武田氏譜代家老の秋山虎繁(信友)の養子となる。『甲陽軍鑑』に拠れば駿河侵攻や西上野侵攻などで活躍したが、若くして病死したという。享年29。駿河国富士郡(静岡県富士宮市)の富士山本宮浅間大社に奉納された『駿河富士大宮浅間神社神馬奉納記』は天正5年1月から5月の間に成立したと考えられており、神馬を奉納した武田家臣の中に「秋山左衛門尉」の名が見られる。 死後、弟の源三郎が秋山氏を継承する。恵林寺(現・山梨県甲州市塩山小屋敷)に葬られ、養父と並んで墓がある。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋山昌詮」の詳細全文を読む
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