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秋田愛季 : ウィキペディア日本語版
安東愛季[あんどう ちかすえ]

安東 愛季(あんどう ちかすえ/よしすえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての出羽国戦国大名。檜山系安東氏第8代当主。
== 生涯 ==
天文8年(1539年)、出羽国の戦国大名・安東舜季の子として誕生。
長く分裂していた檜山系と湊系の安東氏を統一し、安東氏の戦国大名化を成し遂げた智勇に優れた人物であったといわれている。統一の経緯には諸説があり不詳であるが、婚姻関係と養子縁組とにより檜山系が湊家を事実上吸収したものと推測されている(愛季の父母はそれぞれ檜山、湊出身である)。更に半ば独立勢力であった比内地方国人浅利則祐を討って、その弟の勝頼を傘下に置き勢力を拡大した。永禄7年(1564年)から南部領に侵攻し鹿角郡獲得を目論むが、これは永禄12年(1569年)に南部晴政に阻まれた。
領土経営に関して、従来、湊家が低率の津料を支払うことを条件に認めてきた雄物川上流域の大名、国人による湊における交易を統制することにより、旧来の蝦夷貿易などの外海交易に加え河川交易への統制強化(江戸時代においても、庄内藩最上川流域秋田藩が雄物川流域に対し津料制を柱とする河川交易統制を敷き、内陸の主要問題となっていた)を断行しつつ、土崎港を改修して北日本最大の港湾都市に育て上げた。また、近隣国人衆への支配も強化しようとした。
このため元亀元年(1570年)には、豊島玄蕃らによる湊騒動が起こり、豊島氏に同調した大宝寺氏由利郡へ進軍してきた。この一連の紛争は、大宝寺義氏の自壊にも助けられて安東家の優勢に終わり、由利郡の大半は愛季の勢力下に入った。このとき安東家の軍勢は、三崎山を越えて酒田まで侵攻したと云われる。
また、天正元年(1573年)から天正10年(1582年)まで織田信長に毎年の貢物を贈ることで誼を通じ、信長の死後は羽柴秀吉と誼を通じるなど、中央権力とも連絡を密にしており、天正5年7月22日1577年8月6日)には従五位下に、天正8年8月13日1580年9月21日)には従五位上侍従となるなど、安東氏の最盛期を築き上げたと伝えられている。また、晩年には名字を安東から秋田へと改めている。
更に、天正10年(1582年)に浅利勝頼を蠣崎慶広を使い謀殺。出羽北部の沿岸部をほぼ統一し、内陸部に進出し雄物川流域の支配権を巡り戸沢氏との戦いに向かったが、1587年(天正15年)、角館城戸沢盛安と戦った際、仙北淀川の陣中で病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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