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秋田 重季(あきた しげすえ、1886年10月12日 - 1958年2月13日)は、明治から昭和時代の技術者、政治家。貴族院議員、子爵、秋田家第14代当主。 == 生涯 == 旧公家出身の伯爵大原重朝の次男であったが、元三春藩主で子爵の秋田映季に嫡男が居なかったため、その娘の芳子と結婚して秋田家を継いだ。1907年(明治40年)2月、養父の死去に伴い子爵を襲爵。 1910年(明治43年)に東京帝国大学工科大学を卒業。同年、逓信省臨時発電水力調査局雇となり、鉄道院技手、同技師などを務める。また、歌会始講頌となる。 1919年(大正8年)5月、貴族院子爵議員に選出され研究会に属し、貴族院が廃止された1947年(昭和22年)5月まで在任。1946年(昭和21年)には永年在職議員として表彰を受けた。 また生長の家に早くから入信し、海外布教にも取り組んだ。『生命の實相』においても、谷口雅春により笛の名手として紹介されている。なお、息子の一季(元日本教文社専務取締役)も晩年に至るまで終始「甘露の法雨」の携帯版(冊子体ではなく蛇腹のもの)を携帯していた。 1958年(昭和33年)に71歳で死去し、妻・芳子との間に生まれた一季が後を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋田重季」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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