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科学技術庁(かがくぎじゅつちょう、Science and Technology Agency)は、1956年から2001年まで存在した、日本の中央省庁の一つ。総理府の外局として設置され、科学技術行政全般を所掌した。中央省庁再編により廃止され、その業務は内閣府政策統括官、文部科学省などに継承された。東海大学創立者松前重義らの運動が中心となって設立に至った行政官庁として知られる。略称科技庁(かぎちょう)。長は科学技術庁長官。いわゆる大臣庁のひとつであった。 ==沿革== *1956年(昭和31年)5月19日、総理府の外局として科学技術庁(長官は国務大臣)を設置。 *母体となったのは、総理府原子力局、総理府の附属機関だった科学技術行政協議会事務局、資源調査会事務局である。その他工業技術院からは調査部門が、特許庁からは発明奨励部門が移管された。 *他省庁では次官職や局長職への就任機会の少ない技官を処遇するために設立された色彩も濃く、実際に事務次官を始め主要幹部の多くに技官が就任した。 *実際の科学技術行政の大半は通産省やその他の所管省庁がすでに持っており、科学技術庁所掌は主に原子力及び宇宙関係行政であった。 *1957年(昭和32年)8月1日、国家行政組織法改正に伴い、大臣庁は省と同様の組織機構を有することができるようになり、科学技術庁次長に代えて科学技術事務次官を設置。 *2000年(平成12年)4月1日、中央省庁再編に先駆けて原子力安全委員会の事務局機能を分離し、総理府に移管した。 *2001年1月6日、中央省庁再編に伴い、文部省と統合し文部科学省が発足した。 *この際、「科学技術政策局(基本計画策定を除いた部門)」「科学技術振興局」「研究開発局」は文部省の学術政策を取り込み、それぞれ「科学技術・学術政策局」「研究振興局」「研究開発局」となった。原子力局は内閣府原子力委員会と資源エネルギー庁(経済産業省の外局)及び文部科学省に所掌が分割され、原子力安全局は原子力安全委員会事務局(内閣府)と資源エネルギー庁原子力安全・保安院及び文部科学省に所掌が分割された。 *全省庁にまたがる科学技術政策については内閣府に引き継がれた。内閣府の科学技術政策部局(政策統括官が統括)においては、従前の科学技術会議を拡充して設置された総合科学技術会議の事務局機能や原子力委員会の事務局機能も併せて担当する。この科学技術政策部局を統括する特命担当大臣(科学技術政策担当大臣)を置くことができ、法律上は必置とはされていないが、実際の閣僚人事では欠かさず置かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「科学技術庁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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