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太子密建(たいしみっけん)は、清朝の後継者指名の方式。秘密立儲(ひみつりっちょ)ともいう。 ==概要== 皇帝が生前に公式に後継者を指名せず、継承者の名前を書いた勅書を印で封印した後で紫禁城の乾清宮の正面に掲げられた「正大光明」と書かれた額の裏に置き、皇帝の崩御後、衆人立会いの下でこれを開き後継者を決めるという方式である。皇帝は公開されない後継者を何度も変更することが可能であった。 第5代皇帝雍正帝が定めた。雍正帝は男子35人のうちの四男であったが、父康熙帝が臨終のときに、侍臣の手のひらに「四」と書くことで後継者に指名した。このときに、実は「十四」と書いてあったのを指を曲げて「十」を隠したとか、なめて消した、「十」の字を「于」と書き換えた、という噂が流れた(実際には清皇帝の命令は漢文と満州文字の双方で伝えられるはずであり、このような改竄は不可能であるとされる)。また、康熙帝がそれ以前に定めた皇太子は地位に安住して修養を怠り派閥を作るなどの弊害をもたらして廃位されていた。これらのことから、禍根を断つために太子密建の法が考え出された。 この方法により清代には比較的に暗愚な皇帝が出なかったと言われている。 太子密建によって初めて即位した皇帝は乾隆帝。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太子密建」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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