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秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年3月23日 - 1938年11月22日)は島根県美濃郡都茂村(現益田市)出身の細菌学者。学位は医学博士。当時難病であった梅毒の特効薬サルヴァルサン(砒素化合物製剤606号)をドイツのパウル・エールリヒ(1908年ノーベル生理学・医学賞受賞)と共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。 生前、1911年にノーベル化学賞と1912年・1913年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している〔Nomination Database - Physiology or Medicine 〕。 == 生涯 == === 生い立ち === 島根県美濃郡都茂村(現益田市)に豪農・山根道恭とヒデの十四人兄弟の八男として生まれる。14歳の時に姻戚である秦家より養子に迎えられた。代々医師の家系であった秦家には当時一人娘しかいなかった為に、兄弟の中で成績が優秀であった佐八郎に白羽の矢がたったのである。その際、秦家より「岡山で勉強が出来る」と言われたのも少年であった佐八郎が養子に行く決心をした理由の一つであろう。 佐八郎は悪戯好きの少年であり、すぐ上の兄で2歳年上の藤七とよく遊んだが、乱暴狼藉が過ぎると、空いている大きな酒づくりの樽に放り込まれた。食事時になっても2人は容易に樽の中から引き上げてもらえなかったという。母ヒデから「さあさん、ちょっと来てやんさい」と土蔵に呼ばれ、諭された逸話は地元では有名。 養子になった佐八郎は1891年私立岡山薬学校(現:関西高等学校)を卒業後、第三高等中学校医学部(現:岡山大学医学部)に入学する。高等中学校では大変優秀であり、他の学生や教師からも一目置かれる存在であった。 1895年(明治28年)、医学部卒業、8月、22歳で秦徳太の長女チヨと結婚した。同年、一年志願兵として東京近衛一連隊入隊。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秦佐八郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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