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稚桜部 五百瀬(わかさくらべ の いおせ〔歴史的仮名遣での読みは「わかさくらべのいほせ」。〕、生年不詳 - 持統天皇10年9月15日(696年10月16日))は、日本の飛鳥時代の人物である。氏は若桜部とも書く。姓は臣、後に朝臣。冠位は贈直大壱。 672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に従い、信濃国など東山道の兵力動員を命じる使者になった。 == 出自 == 稚桜部氏(稚桜部臣)は膳氏(膳臣)の一族〔『新撰姓氏録』右京皇別〕。若狭国造家。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稚桜部五百瀬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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