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種子島久尚[たねがしま ひさなお] 種子島 久尚(たねがしま ひさなお、嘉永7年(1854年) - 明治15年(1882年)は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、種子島氏第25代当主。 父は種子島久珍。母は島津久照の娘。正室は島津貴典の娘幸子。子は種子島時丸、種子島守時。通称弾正。 == 略歴 == 嘉永7年(1854年)種子島久珍の子として生まれる。生後まもなく父久珍が急逝し家督相続。幼児のため、養祖母松寿院が政務を代行する。慶応元年(1865年)祖母松寿院が死去。明治元年(1868年)政府に戦費として800両を献金する。明治2年(1869年)版籍奉還により種子島を政府に返還し鹿児島に移住。同年政府より世禄1500石を賜る。明治8年(1875年)長男時丸誕生。明治12年(1879年)次男守時誕生。明治15年(1882年)死去。享年29。家督は嫡男時丸が相続するも明治18年(1885年)11歳で夭折。 次男守時がその跡を継ぎ、明治33年(1900年)男爵に叙され華族となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「種子島久尚」の詳細全文を読む
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