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種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(投手)。妻は宮田征典の姉・鈴子。 == 来歴・人物 == 変則的な下手投げからシュートやカーブを武器にした。倉吉農業高校から米子鉄道管理局を経て、1962年に読売ジャイアンツへ入団。2年間は登板なしに終わったが、3年目の1964年から主に救援で登板した。1965年には最多となる33試合に出場している。同年と翌1966年には日本シリーズでも登板。 1968年に防御率6.00に終わり、1969年には登板がなく、オフに金銭トレードで南海ホークスへ移籍。2年間で50試合に登板したが、1971年シーズン限りで引退。 1972年、南海で1年間だけ一軍投手コーチを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「種部儀康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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