翻訳と辞書 |
稲原牧場[いなはらぼくじょう] 稲原牧場(いなはらぼくじょう)は、北海道沙流郡平取町本町にあるサラブレッド競走馬の生産牧場である。1954年創業。 1985年の宝塚記念優勝馬スズカコバン、1998年の宝塚記念優勝馬サイレンススズカ、2007年の高松宮記念優勝馬スズカフェニックスなど数々の活躍馬を輩出している。 == 歴史 == 牧場を経営する稲原家は北海道への開拓移民であり、沙流川沿いの土地を切り開いて農業をはじめ、そのかたわらで農耕馬の生産も手掛けていた〔『優駿』2007年7月号、pp.173-174〕。20頭ほどいた繁殖牝馬の中には1頭だけサラブレッドがおり、かねてその美しさに憧れを寄せていた稲原一美は、1954年に家業を競走馬生産に切り替え「稲原牧場」を創業〔『優駿』1998年9月号、pp35-37〕。預託馬の受け入れなどをしながら牧場の基礎を固めると、次いで優秀な繁殖牝馬の導入に努めはじめる〔。稲原牧場における輸入馬第1号であるフェアヒルズの血統からはアイノクレスピン、テルテンリュウといった重賞勝利馬が生まれ、1500万円で購買したサリュウコバンの仔・スズカコバンは1985年に宝塚記念を制し、前年のグレード制導入後はじめて牧場にGI競走のタイトルをもたらした〔〔テルテンリュウも1980年に宝塚記念に優勝しているが、当時日本にグレード制は存在せず、とくに大きい競走と見られた八大競走にも含まれていなかった。〕。 2代目の稲原美彦が牧場の差配をはじめていた1990年代、繁殖牝馬ワキアを購入するに当たり、事務的手続きを買って出た中央競馬調教師の橋田満と昵懇になり、橋田にスズカコバンの馬主であった永井永一の子・永井啓弐を紹介〔。1998年には啓弐の所有馬で橋田が管理するワキア産駒・サイレンススズカで宝塚記念3勝目を挙げた。同馬は同年秋の天皇賞で骨折、安楽死処分となったが、この出来事を経て三者の結びつきは強固なものとなり、以後稲原牧場、橋田満、永井啓弐はトリオのような存在として認知されることになる〔。2007年にはスズカフェニックスが高松宮記念に優勝し、サイレンススズカ以来のGI勝利を挙げた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲原牧場」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|