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稲垣定享[いながき さだかず] 稲垣 定享(いながき さだかず、宝永7年(1710年)- 元文5年4月25日(1740年5月20日))は、近江山上藩の第3代藩主。 第2代藩主稲垣重房の長男。正室は北条氏朝の娘。官位は従五位下、安芸守。 宝永7年(1710年)、もしくは正徳4年(1714年)3月7日生まれとも言われている。幼名は熊次郎。享保5年(1720年)4月26日、父の死去により後を継ぐ。享保11年5月28日、将軍徳川吉宗にお目見えする。同年12月18日、従五位下安芸守に叙任する。享保17年4月、日光祭礼奉行を命じられる。享保19年5月、駿府加番を命じられる。江戸の大火で上下両屋敷が焼失して出費が相次いだため、質素倹約や新田開発を主とした藩政改革を断行したが、効果が見込めず、また定享自身が元文5年(1740年)4月25日に早世したため、失敗に終わった。跡を養嗣子の定計が継いだ。墓所は群馬県伊勢崎市の天増寺。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲垣定享」の詳細全文を読む
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